今の自分に満足できない人。
自分の中の満足とは何か。
大きな家か?高級腕時計か?高級車か?有り余るほどの金か?
どれも今の俺には手に出来ないシロモノだ。
欲しいものが手に入らないと、一生満足することは無い。
そして、もしそれが無事手に入ったとしても、また次から次へと欲しいものが出て来るに違いない。
そして、それが手に入らないと、もちろん再び満足せず、それを手に入れるまで苦悩な時間を過ごすこととなる。
果たして、満足とはそういうものであるべきだろうか。
満足とは、多額の金や多大な苦労を払わないと得られないものなのだろうか?
多額の金を払わなくても、必要最低限の生活で、満足は得られるものなのではないだろうか?
今あるものに満足し、わずかなお金でしたたかな楽しみを得る。
満足の基準を下げれば、人は誰でも幸せになれるのではないだろうか。
あれも欲しい、これも欲しい、〜がしたい。
我々は常に新たなモノを欲し続ける。
モノへの欲求だけでなく、ヒトへの欲求にしてもそうだ。
〜して欲しい。こんな他人であって欲しい。
まるで自分が王様にでもなったかのように、あれも欲しい、これも欲しい、あれをやれ、これをやれと、常に自分の欲求を中心に考え、それを外部のモノやヒトに満たしてもらおうとしている。
しかし、満せど満せど、欲求というものに終わりはない。
外部に満足を求めるのではなく、自分の内側に満足を求める。
今あるモノやヒトに目を向け、それに満足する。
もしかすると、そのような心持ちが我々の人生を豊かなものにしてくれるのかもしれない。
人は満足した状態でいると、心に余裕が生まれる。心に余裕が生まれると、自分だけでなく、周りの大切な人たちの欲求にも答えたくなるものだ。
心の余裕という面でも、今を満足することの意義は大きいのではないかと最近思うようになった。