快楽を都合良く使う方法。
夜な夜な卑猥な動画を、まるで麻薬中毒者かのように見続け、快楽を得ている自分が情けない。
これほどまでに熱中する能力を、何か別の有意義な事に使いたい。
時間も気にせず熱中する力というのは、快楽と強い結びつきがあることに気づく。
快楽とは何だろうか。
卑猥な動画を見たり、タバコを吸ったり、昼寝をしたり、というのが現段階での私の中での快楽といえる。
これらは、そもそも、どのようにして事を始めたのか?を考えると、そこに快楽というものを知るためのヒントが隠れている。
卑猥な動画やタバコなどというものを初めて知ったのは子供の頃で、それらは当時、やっていい物事では無かった。
いわば、やってはいけない物事。
悪い物事として、人目のつかないような所でヒッソリと隠れてやるものであった。
つまり、私の中での快楽というものは、大衆が容易に認可する物事では無く、ヒッソリと他人にバレないよう嗜む物事であるということなのだ。
これは個人的見解なので、全ての人に当てはまるかどうかは分からない。
でも、そういうつながりは、だいたい当たっているのではないだろうか。
目の前に超絶セクシーな女性がいれば、ガン見したくなるが、それはやってはいけない事で、チラ見程度で我慢するが、そのチラ見だけでも目の保養になるし、それは私の中での程度は小さいが、快楽になりえるわけである。
火薬鉄砲なんかも、私が子供の頃はよく外で打ちまくったものだ。あれも近所迷惑になるので、世でいうやってはいけない事なのだが、あの希少体験は病みつきになる、快楽であった。
この理論を使えば、有意義な事を快楽に結びつけることは可能なのかもしれない。
何かの知識を得るために、勉強する必要性が出てきた時、これをやってはいけないことなのだと我に洗脳すればいいのではないだろうか。
喫茶店なんかで勉強してる人間は異常者だ。私からすれば、あれは公開オナニーのようなもので、頭がどうかした人間達だと。
勉強は、他人に迷惑をかけるので、そもそも隠れてやるものだと認識すれば、逆にやりたくなるかもしれない。
そして、夜な夜な見ている卑猥な動画を、逆に堂々たる姿勢で、まさに家族が集う時にリビングのテレビに放映し、それを日常にしてしまえば、そこに快楽という要素は消えて、別に見なくてもいいものになり得るのではないだろうか。
そんな事をふと考えついた無敵マンであった。
最近なかなか勉学に集中できないので、明日はエロ動画を見るかのごとく、勉強に精を出してみようかと思う。
p.s.
株の方は、残念ながら、あまりよろしくないことになっている。