殺人犯を叩く人間は哀れなり。
他人がただ歳をとって死んでも、我々は心を動かされることはない。
しかし、他人が他人によって殺された場合に、我々の心は大きく動き、なぜだか魅了されてしまうのだ。
よくぞやってくれた!という気持ち。
犯人が許せない!殺してやりたい!という気持ち。
なぜそんなことをしてしまったんだ?という気持ち。
人によって感じ方はそれぞれだ。
1番多いのは、許せない!殺してやりたい!という気持ちなんだと思う。それはネットニュースのコメント欄に顕著に表れている。
彼らは真っ先に被害者側に立って物事を考え、被害者と一緒になって加害者を憎む。
そうすることで何かしらメリットがあるから、そうするのだろう。
例えば、加害者に対して暴言を吐きちらすことでスッキリした気持ちになるのかもしれない。
不思議なのが、なぜ彼らは自分に関係のない赤の他人が殺されたことに対して、あんなにも熱くなれるのか?ということだ。
それはきっと、被害者の気持ちがよく分かるからなんだろうなと私は考察している。
つまり、彼ら自身も普段から自分を被害者であると感じているがゆえに、被害者の気持ちがよく分かるのだろうという理屈である。
普段の生活の中で感じる様々な不幸に対して、自分が常に被害者側であると感じている人間は、自分をそのような不幸にした加害者側を強く恨むものだ。
恨みはするが自分は何も出来ないのが現実である。
そうした時に、見ず知らずの他人が起こしたリアルな殺人事件が起こると、彼らは真っ先に被害者に共感する。そして、捕まった加害者を発狂するほど罵り、バカにし、笑いとばす事によって、彼らは普段の鬱憤を晴らしているのである。
彼らは事件の犯人を、日常で自分を不幸にしている加害者と重ね合わせているのだ。
つまり、殺人事件で加害者を必要以上に叩いている大勢の人間達は、いったいどんな人間達なのかというと、
常日頃から自分のことを「不幸の被害者」だと思い込んでる哀れな人間達だということである。
今の不幸に対して、自分が加害者だと思うのか、自分が被害者だと思うのか。
それによって殺人事件に対する反応に違いが出ている。
これは実に面白い。