無敵マンのニート日記

臆病な性格をした無職。自由主義者。 Twitter→@mutekiman_xxx

自由主義者の臆病な性格をした無職が、人生の一コマを書き連ねております。Twitter→@mutekiman_xxx

錯覚を見て満足する現代人。

人間が「暇だ」とか「つまらない」だとか言う原因のほとんどは、「その人が新たな情報を理解しないでいるから」の一言で全て説明がつく。


昨日と違う道を歩いてみたり、入った事のない店に入ったりするから、人間は新たな情報を理解し、面白いと感じるのだ。


現代では、人が新たな情報を理解するための媒体として、文や写真、動画などが存在しているが、この中でも今最も人気があるのは間違いなく「動画」である。


今の若い子を見てみるがいい。暇さえあればYouTubeかAmazon videoかavgleにかじりつき、必死で何か新たな情報を理解しようとしている。(俺のことだ)


「暇を潰したいなら動画を見ろ!!」と声高らかに叫んだところで誰も反論してこないくらい、今は「動画の時代」なのである。


動画という情報媒体の一番の魅力は、「多くの情報を短時間で得られる」ところにある。


効率を求める現代人にとって、それは最も魅力的な「新たな情報を理解するための媒体」になっているわけだ。



しかし私は、このクソッタレた「近代効率動画社会」に住まう「現代人」どもに物申したい。



「ツマラナイからといって毎日動画を見てる人間たちは所詮、錯覚を起こして満足した気になっている不幸人にすぎないのだ」と。


現在、動画ほど「リアリティ」に優れた情報媒体は他に無いが、実はその「リアリティさ」が逆に仇となっていることには未だ誰も気付いていない。


動画というものは、あくまでリアルに限りなく近い「リアリティな情報」なのであり、それは決して「リアル」では無いのである。


にも関わらず、それを「リアルと勘違い」し、本質そのものを理解したかのような気になっている不幸人が現代社会では急増しているのだ。


雄大な景色も、森に住む虫たちの姿も、バカな人がバカなことをするという貴重な光景も、女と男がセックスしてる場面も、動画という情報媒体を通せば、我々はそれをほぼ理解した気になり、それで満足して終わってしまうのである。


あなたにも心当たりはないだろうか?


それで満足出来てしまうということは、わざわざ自分の足を使ってリアルを体験しに行く「意義」も「必要性」も無くなってしまったということを意味する。


「引きこもり問題」や「少子化問題」


考えてみればこれらの問題は動画の普及によって急増し始めた問題だ。



現代人諸君…



我々は今後動画をなるべく避けて生きた方が良いのかもしれない。


「本当のリアルは一体どんなものなのだろう?」と想像を掻き立て、少し物足りないくらいの方が我々の使用する情報媒体としては相応しいのかもしれない。


時代を一昔前に戻して、「人との会話」や「文章」という情報媒体に再びスポットライトを当ててみる。


錯覚に満足せず、自分の足で真実を見に行く人間になりたいのであれば、今後は動画を一切見ないことだ。



p.s.

僕が小学生の頃は「ネット動画」なんてほぼ無いに等しい時代だったから、当然エロ動画を今みたいに無制限に見られるはずもなく、当時はひたすら想像力をMAXにしてクラスの女子をズリネタにしていたものである。

あぁ、あの時代が懐かしい。

「動画」によって簡単に性欲を満たせるようになってしまった今、僕らの想像力は徐々に奪われてゆき、女子に対する積極性もまた失われてしまったのではないか。

あぁ、あの時代が懐かしい。

真実を求める、心清き少年よ。錯覚の虜になってはならない。あの頃抱いた、あのトキメキよ。もう一度わたしの元へ舞い戻るのだ。

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