無敵マンのニート日記

臆病な性格をした無職。自由主義者。 Twitter→@mutekiman_xxx

自由主義者の臆病な性格をした無職が、人生の一コマを書き連ねております。Twitter→@mutekiman_xxx

人間としての自然。

この世には2種類の人間がいる。


自然を愛する者と不自然を愛する者。


人間の多くは、不自然を愛する者である。


植物や動物は自然なものしか愛さないが、人間はその高度な知能ゆえに不自然なものばかりを創造し、それを愛するようになった。


例えば、音。


自然な音である川のせせらぎや野鳥のさえずり、風の音、波の音、虫の音。

自然に目を向ければ楽しめる音はたくさんある。


しかし人間は欲深い生き物なので、自らメロディを創ったり、打楽器でリズムを刻んだり、歌声なんかを乗せたりして、不自然な音を大量生産している。


僕は自然の音だけで充分なのだけれど、人間の多くは不自然な音を好む。


文明の進歩によって人間は生きるためにやらなければならない多くの雑事から解放され、その分、暇になった。


この暇が不自然で雑多なものを生み出しているといっていいだろう。


人間は暇になれば暇になるほど、その暇を潰すために不自然なものを創造する生き物らしい。


しかし、それでいいのか?


そもそも、不自然なものは別に無くても困らないものであり、それが無くとも生きていけるものなのだ。


暇な時間で無駄なものをつくるくらいなら、暇な時間で人間が生きる為に本当に必要なものだけに目を向けた方が何倍も有意義ではないだろうか。


また、不自然なものを際限無く欲するよりも、自然で有限なものに満足できるならば、そうした方が幸せになれるのではないだろうか。


きっとこの先も文明は進歩するはずで、我々人間の暇は確実に増えてゆくであろう。


この暇な時間をどのように過ごすのかは十人十色自由だが、できるなら僕は不自然で無駄なものには目を向けず、自然で生きるために有意義なものだけに目を向けて過ごしたいと思っている。


僕は現代の人間が不幸なのは、世の中が不自然なもので溢れた結果だと考えている。


人間が生きてゆく為に本当に必要なものとは?


人間にとっての自然物、人間としての自然を、今一度よく考えてみるべきだ。


まさに今はそういう時期に来ているといっていいだろう。


不自然の大量生産を辞め、生産せずとも既に存在している自然物に目を向ければ、暇を無駄に多忙に過ごす必要が無く、暇を人間が生きる為に必要なことだけに使えるはずなのだ。

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