ニートがニートである理由。
最近アルバイトをはじめた。
毎日3時間程度、月収にして8万円程度である。
この8万円は親に支払う家賃と国に支払う税金とで綺麗サッパリ無くなってしまう。
私自信が誰にも迷惑をかけずに生きるに必要な金額が、この月に8万円なのだ。
これを稼いでいかなければ、いずれ私は誰かに迷惑をかけてしまうことになる。
それだけは避けたいということで、これは仕方の無いことだと割り切って、私は必要最低限の労働をはじめたのである。
まさにこれは、生きるためだけに必要な労働といえよう。
家族という共同体で住まう家を共有し続けるのであれば、人は日に3時間の労働で事足りるのだ。
私はこれをベストな人間の生き方だとさえ思うのだが、親はやたらと自立自立と独り立ちを急かしたてる。
つまり、私に早く家から出て行って欲しいみたいなのだ。
月々5万円の支払いに家事手伝い、こんなに出来た子供、私が親なら絶対に手離したくはないのだが、母親はどうも1人が好きみたいで、世間体などもひどく気にしていたりして、とにかく私を早いこと家から追い出したいようなのである。
彼らは全く分かっていないのだ。
この自立、独り立ちというものが、どれだけ人の人生を無駄に消費するかということを。
1人で生きてゆくということは、それだけで莫大な金が必要になる。
莫大な金が必要だということは、莫大な時間も必要になるということだ。
人は生きるために必要なお金を最小限に留めなければ自由に生きることさえ出来ないのである。
ニートがニートである理由は、人生を自由に生きたいからなのだ。
これは人として当たり前に持つべき欲求であって何もおかしいことではない。
おかしいのは自立して人生の8割を労働に費やしている不自由な人たちだ。
やりたい労働をしている人間などほぼいない。おかしい人たちはやりたくない労働の奴隷となり、人生を不自由に消耗する。
そして、それこそが人の立派な人生なのだと胸を張って語るのだ。
バカバカかしい。
異常なのは社会人であって、ニートは人間として正常だというのが私の考えである。