共感が大切。
俺はアマノジャクな性格をしている。
誰かが「今日は暑いね〜」と言うと、俺は「いや今日は寒いよ」と言って、誰かが「お腹空いたね〜」と言うと、俺は「そう?腹いっぱいだけどね」と答える。
実際にそうだからそう答えてることが多いんだけど、たまに、共感出来る場合もワザと反対のことを言ったりして、相手の反応を好奇の目で見ていることもある。
相手と自分が同じ事を感じたり考えたりしてるという状況が、俺は何となく嫌いなのだ。
感じ方や考え方は人それぞれ違って当然なのに、さもそれは皆同じであるはずだと言わんばかりに、共感を強要されてる感じ。
この感じがどうにも気にくわないのである。
だから、相手に現実を教えるためにワザと反対の考え方などを言ってやったりして、相手を困惑させ、それを俺は面白がっているのだ。笑
しかし、こんなことばっかりしていると、経験上言わせてもらうが、間違いなく多くの人々から嫌われる。
なぜかというと、人間関係を作る根本には「共感」というものが必要不可欠だからである。
人々が感じる孤独や寂しさというものの根本的な原因は「共感の欠如」だと、私は考えている。
自分の気持ちを分かってもらえない。自分の考えを理解してもらえない。
こういった状況は人を孤独にし、苦しめるのだ。
人は皆、誰かしらに自分の気持ちを分かってほしいと望んでいるものだ。
そうすることで、自分は1人じゃないと実感するし、それは安心感や嬉しみに繋がっていく。
これほど「共感」が重要だとわかっていて、なぜ俺は集団の中でアマノジャクを演じることを愛するのか。
それには色々理由がある。
不確かな現実を、不確かな俺を通して、知ってもらいたいというのもあるし、共感の強要をぶち壊したいという考えもある。
俺はこの世界を何事も本音で話し合える世界にしたいと思っている。
そのためには一人一人が他者からの反感を恐れず、堂々と自分の気持ちを伝えていく事をしていかなければならない。
その見本的人間に俺はなりたいと思っているのかもしれない。
それも大切かもしれないが、やはり時には人々と「共感」しあうことも大切なのだ。
孤独な人間が集まって組織になっても、そこに共感が見つけられなければ人は孤独なまま。
近くに人がたくさんいるのに孤独であれば、それは一人きりで孤独な場合よりも辛い。
自分が人間としての役割や機能を全く果たしていないということで自己嫌悪するだろうし、自分と似た相手にも同様に失望してしまう。
組織で孤独になりやすい人は、共感を見つけ出す努力をしてみるといい。
「今日は暑いね。」
「セミってうるさいよね〜。」
「喉乾いたなぁ。」
目の前にいる相手と共感できそうなことなら何でもいいだろう。
共感し合えるだけで、相手は私を仲間だと意識してくれる。
こうした関係を築く事は、組織で気持ちよく働くために絶対必要なことだ。
会社の面接で面接官が見ているのも、間違いなくこの共感性だ。
この人に共感できるポイントがいくつあるか?
それは、あればある分だけ好印象を与える結果につながる。
俺はアマノジャクだから、つい面接官にも何もかも本音で答えてしまうので、反感を買って不採用になることが多い。
この前なんか「学生時代何か打ち込んだことはありますか?」と面接官に聞かれて、少し考えて、何も無いなと思ったので「特に無いです」と真顔で答えたら、面接官は驚いた表情をして笑っていた。
その前の別の会社の面接では、面接官に「志望動機は?」と聞かれて、「家から近かったからです。」と本音で答えたら、またも面接官は驚いた表情をして笑っていた。
こういう会社組織などに入ろうとするならば、嘘でも共感を得やすいことを沢山言った方が良いのだろう。
組織の中で共感し合えない人=敵
なのである。
些細なことでもよいので相手との共通点を見つけてゆきたい。
アマノジャクな私がこんなことを考えるようになったのは、ほんのつい最近のことである。