無敵マンのニート日記

臆病な性格をした無職。自由主義者。 Twitter→@mutekiman_xxx

自由主義者の臆病な性格をした無職が、人生の一コマを書き連ねております。Twitter→@mutekiman_xxx

人が喋らなければどんなに良い世界だろう。

他人に対して何かある事をさせようと呼びかけるというのは、人間社会ではごく当たり前のことだが、僕はコレほど傲慢で馬鹿げた慣習は他に無いと思う。


会話というのがまさにそれで、他人に対して言葉を投げかけるという行為は当然のごとく他人からの返事も要求している。


例えば、挨拶。


こんにちは、お疲れ様です、おはようございます。


挨拶をされたら、こちらも挨拶を返さなければならないという雰囲気になる。こちらが何か考え事をしていたりしても、挨拶をされれば、考え事を一度中断して挨拶を返さなければならない。


これほど面倒なことが他にあるか?


挨拶というのは、近い将来自分と関わり合いがあるであろう人間に対してのみ行うべきものであって、そうでない人間に対しては行うべきものでは無い。挨拶とは人間関係の円滑油であり、相手がこちらに又はこちらが相手に話し掛けやすくする雰囲気を作り上げる為に行うべきものだからである。


日常的に関係を維持しなければならない人間など、正直言って、今の自分には家族以外に見当がつかない。


今行っている仕事先でも基本的に仕事は1人で完結できるものであるし、何か本当に誰かに何かを聞いたり頼まなければ仕事が前に進まない場合などは、相手への話しかけ易さなどを考えている暇などは無く、話しかけざるを得ないのだ。


そう。僕は相手に話しかけざるを得ない状況でしか相手には話さず、逆に相手も僕に対して、話しかけざるを得ない状況でしか僕に話しかけて欲しくないのである。


だから、意図がわからないような下らない質問や、子供じみた身勝手な要求などは一切控えて頂きたい。と、僕は強く思う。


しかし、人間の多くは、まるで「会話」をしなければ生きていけないかのように、別に話すべきことでもない無駄で下らない話を、出まかせに口から連発し、こちらに投げかけてくるのである。



人間が言葉を発しなくなれば、どんなに良い世界だろうと僕は想像する。



言葉はぜんぶ胡散臭いのだ。



人間がどんな感情を抱いているのか、何を欲しているのか、などといったことは、別に言葉が無くても伝わるもので、逆に言葉を使うことで、その純粋な感情や欲望が少し薄まった表出になってしまっていると感じる。


人間の見るべきは態度であり言葉では無い。


言葉を見るから人は騙されるし、傷つくし、勘違いを起こす。


よく喋る人間よりも静かな人間を僕が好む理由は、静かな人間は他人の態度をよく見て忖度できる人間が多いからである。


よく喋る人間は他人に対して過干渉になりがちである。彼らは言葉しか信じない為に人間の態度を観察する能力が著しく欠けいる為、ひとりよがりな思い込みによって、相手の要望とは正反対なことばかりする。


よく喋る人間は大嫌いだ。

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