無敵マンのニート日記

臆病な性格をした無職。自由主義者。 Twitter→@mutekiman_xxx

自由主義者の臆病な性格をした無職が、人生の一コマを書き連ねております。Twitter→@mutekiman_xxx

目的を持つことについて

目的の無い人間は普段あんまり行動をしない。目的は自己にとって利得となる故に目的となり得るのであって、何事も己にとって意味をなさない・利得とならないと考えている人間がいたとすれば、そのような人間には目的も行動も発生しない。つまり無欲であることが人間の行動を制限しているとも言えよう。しかし、そのような聖人を抜きにして考えると、これはただ、我々が欲を満たすための労力を惜しんでいるだけに過ぎないとも言える。

実際、己を益することは甚だ難しい。ただ寝ているだけで気持ちが良いので、私なんかはよく勘違いを起こして己を益するのは簡単だと思い込んでいたりするが、よくよく考えるとそうではない。身体が疲れていなけば我々は眠ることさえ困難で、ただ寝るにしても、気持ちよく寝ようと思うのであれば、我々はまず先に身体を疲労させるという労力を行使する必要がある。つまり、快楽を得るために労力を惜しむなどといったことは有り得ないのである。


さて、そこで問題になるのは自身が持つ各々の快楽に対して、どれだけの労力をどのような快楽に対し優先的に割り振るのかということである。私はピアノを弾くことや、書物を読むこと、絵を描くことなど、自己の特異化に繋がる快楽などへは優先的に労を割くようにはしているが、中にはそうではない、非成長的・消耗的な快楽のために労を割くこともある。私はこのうち後者の快楽については、もはや完全に忘れ去ってしまった方が自身のためになると考えている。消耗的な快楽に溺れ、スキルのない人間として歳を重ねていけば、今以上に世の中から必要とされない人間になるのは目に見えている。私などは学生時代から既に社会人になるための研鑽を捨てた人間であり、その他の道で輝かない限りは一生が地獄の人生と決まっているのだから、自己成長に関する労力を惜しむことは、私にとっては即ち死を意味していると言える。

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