何もしない不幸な人々。
「必要に迫られる」とはどういう事か?
それは、環境による場合と自己の混乱による場合とがあり、双方がいみじくも合致した時にのみ湧き起こるものである。
人は環境によっても行為を左右され得る。もしも戦争が起これば、人は自己の意志に関わらずして、逃げるか・隠れるか・戦う等に行為が限定され、かつての平和な環境下のみにおいて許されたような「いつも通りの日常における行為」に安心して身を委ねる余裕は無くなる。またその場合、どんなに自身が混乱し、その混乱を「行為」によって打ち消そうとしても、手元に武器が無ければ戦えず、隠れる穴倉が無ければ隠れられず、逃げる為の足が無ければ逃げることは出来ない。
つまり、必要に迫られた行為が「行為」として実際に現出する為には、混乱した自己のみや・環境のみが単体で行為を迫ってもダメで、それら双方が巧く合致し、互いに手を取り合わないことには、行為は現出し得ないのである。
必要に迫られた先には必ず「行為」がある。この行為というものが、人間にとっていかに奇跡的かつ運命的な「類稀なるもの」であるかが、お分かりいただけるだろうか?
無行為に悩む不幸な人々。
それは単に、未だ運命が巡って来ていないだけかもしれぬのである。