1人だと考えるしかなくて、どんどん極端な思考に走りがち。その上、思考は最後、必ず結論付けるもんだから、ここに一個の「極端な思想を持った人間」が出来上がる。こうした人間のさらに悪いことに、社会的孤立の寂しさから、それを無理やり肯定することで自我を保とうとする傾向にあり、そこには「社会が悪であり、我こそが正義である」といった、全世界を敵に回したような信条が完成される。
もう、ここまで来たらオシマイもオシマイ。社会と関わる度問題を起こす「問題児」と化す。この問題児は「反省」などといった概念を決して持たない。なぜなら、我こそが神である事を信じて止まないからである。
人が人として進歩するためには、間違った自己を社会に投げ込み、「矯正」していく手順でもって、自己を完成させていかねばならないのだが、すでに自己を完成させているつもりの本人としては、全く逆の手順でもって社会に対峙することとなる。
つまり彼らは、正しい自己を社会に君臨させ、間違った社会を「正す」・「説教を説いて回る」などといった事を、自己の宿命とすら感じつつ世界を練り歩くのである。
彼は本気で自分のことを、世界の「救世主」だと信じて止まない。