大人といえるか。
物心ついて以来、私は親を見下し続けてきた。
私が小さい頃は、親を強くて偉大な人間として見ていたけれど、私が大人になってから彼らを見てみると、別にそう大した人間でもないなというのが正直な感想だった。
すごく平凡というか、どこにでもいそうな親なのだ。人として特別尊敬できる点よりかは、むしろ欠点の方が目立つ。
しかし、そうは言っても、私は一度も親を経験したことが無い人間なので、彼らを無闇に見下すのも何か少し違うのかなという気もしている。
私の両親は、とある場所で出会い、恋人同士となり、結婚し、わたしを産んだ。
この文字面を今冷静に見て思うことは、やっぱり両親はすごい人間だったのではないかという疑念である。
「結婚し、子供を産む」ことなんて、今や誰もがやっている事だし、別に大した事ではないと最近までは思っていたけれど、よくよく考えてみると、それはやはり人間としてすごい事なのである。
だって私には、現に恋人などいないし、そもそもいたこともないし、仮に恋人が出来たとしても、私にはその彼女を一生守る覚悟もなければ、彼女との間にできた子供を産み育ててゆく覚悟なんて尚更持てるわけは無いのである。
とにかく今の私には、誰一人として守れる自信が無い。
26にもなり実家にいて、いまだに自分一人だけの力で生きたこともない。そんな自分一人さえ守り抜くことも出来ない人間が、誰かを守ろうなんて無理を言うにも程があるという話なのである。
親になるという事とはつまり、誰かを守れる力を持っているという事であり、また、自分一人きりでも十分に生きてゆける力を持っているという事でもあるのである。
そう考えると、今の私には親になる資格が全く無いのだということがわかる。
親になる資格をまだ持たない人間というのは、果たしてどういう人間なのだろうか。これを思うにつけて、私は自分という人間が急に、子供じみた人間に思えてきて、たまらなく恥ずかしくなったのだった。
大人になることとはどういうことだろう。
そんなこと、今まで一度も考えた事が無かったけれど、それはもしかすると、一人の人間が子から親になることを意味しているのかもしれない。
人を守れる力の無い人間は、けっきょく誰かに面倒をみてもらわなければ生きてはいけないわけで、それってつまりは、子供と同義なのである。
自分が大人か子供かなんて、いちいちこだわる必要は無いのかもしれないけれど、やはり私は群衆の中の一人の人間として、堂々と大人でありたい。もうじき30になろうとしていることも関係しているのだろう。とにかく今は、そう強く思うのだった。
この社会で普通に生き、普通に大人になるということは、はぐれ者である私にとっては人一倍困難なことなのかもしれない。
しかし、私なりのやり方で大人になるということも、別に不可能なことではないと思うのだ。
平凡に見える私の両親だって、これまでの人生が常に簡単だったかというと、決してそうではなかっただろう。困難と思える状況に突き当たったとしても、無理をして、または我慢をして、時には自分にムチ打って、乗り越えてきた日々が、私の両親にだって必ずあったはずなのだ。
そう思うと、私は今更ながらではあるけれども、私を今日まで守り抜いた両親を尊敬せずにはいられないなと思えてきたのだった。
あれだけ私がバカにしていた両親は、どんなに平凡であっても、間違い無く一人の立派な大人であったのだ。