人の性格は変わらない。
私の母はプライドが高く、偽善的で、本音より建前を愛する人間だ。
本心ではやりたくないことまでわざわざやって、その時わき起こる嫌悪感を意地でも外に示そうとはしない。それは、家族に対しても同じである。
側から見ていると善き母親に見えるものだが、決してそうではない。そういう風に見える時は十中八九、憤りで顔を真っ赤にした赤鬼母さんが身体の内側で暴れ回っているものなのである。
昨日も母はいつものように料理の支度をしながら、「キャベツの千切りはいるか?」などと私に聞いた。
皆さんは、これが何を意味しているのかお察しいただけるだろうか?
これはつまり、母いわく「今日は料理を作るのがしんどいから、キャベツがいるなら自分で千切りをやれ」という意味なのである。
私はそれを経験則的に瞬時に察したので、急いで台所へと向かい、「母さんのぶんも切っておこうか?」などと気を配りながらキャベツを切った。
その時母は「今日はあんまり腹が減ってない」と私に冗談っぽく返したので、私は「あぁ、そうなの。運動不足のせいで代謝が悪くなってるんじゃない?」と、1日中寝転んでばかりいる母へ皮肉を込めて返してやった。
すると、母は急に声を震わせながら「あんたはいつも私が悪いように言うよな。こっちは今日シンドイねん。あんたには思いやりが無い。」と目に涙を浮かべながら言ってきた。
私としては今日までずっと母を思いやりながら生きてきたつもりで、必要とあらばすぐにでも駆け付け、助けてやりたいという気持ちを一度たりとも忘れた事はなかったのに、昨日いきなり「あんたには思いやりが無い」と決め付けられた始末である。その言葉を聞いて、正直こっちが泣きたくなったくらいだ。
その時母が本当にしんどかったのかどうかは今でもよくわからないが、泣き顔になっていたという事は恐らく本当にしんどかったのだろう。母はしんどい態度を表に出さず、遠回しな語り口で心情をほのめかそうとするきらいがあるので、愚痴をいっているのか、冗談を言っているのか、本当にしんどいのか、果たして何なのか、よく分からないことが多い。
本当にシンドイなら料理も作らず、そのままソファにでもうなだれてくれていれば、こちらとしてはとっても分かりやすいのだが、偽善の母はいつも通りの様子で料理を作り、ほとんど昨日と変わらぬ調子で私に語りかけるものだから、これを「シンドイのだろうな」と見抜くことは、少なくとも私にとっては相当に至難の技である。
それを見抜けなかったという理由から、「思いやりが無い」などと認定された私はあまりに可哀想ではないだろうか。そんなことを言われたら、今まで私が母を思いやるつもりでしてきた行為全てが母にとっては思いやりのない行為にしか映ってなかったという疑念さえ生まれてくるし、もはや母にはこれから何をしても無意味な気がしてくる。
昨日のことなのだが、私はいまだに母を許すことが出来ずにいて、まともに口を聞く気にはなれない。
一方で母はテレビを見てゲラゲラ笑っている。
やはり、私と母とでは人間の性質がまるっきり違うものであり、母の性格はこれからもずっと変わることが無いような気がする。