2023年1月のブログ記事
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褒めた後、捕獲し、最後には痛め付ける。 これを奴らは「スパルタの調教師」と呼ぶ。
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人の無思考はなぜ起こるのだろうか? まず、自分の出来る範囲の事ばかりしていると未知が起こらないので、悩まない・思考しないというのが一つ。 もう一つには他人の思想に触れない事・ぶつからない事による無思考が挙げられる。 この世のどこかには、自分には考えつきもしなかった事について真剣に考えている誰かがい... 続きをみる
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自分で考えることの出来ない人間を私はバカと呼ぶ。一つの問いが出てきた場合にまず自分で答えを導き出そうとせず、真っ先に他人に答えを教えてもらおうとする人間は、考えるという知的能力を自ら放棄している。 自分で考えられなければ、誰かから教えてもらった答えが本当に正しいのか?という疑念さえ湧かない。どんな... 続きをみる
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消費者とは好き嫌いの激しいペットみたいなものだ。動物でいうと猫に近い。今の私はこの猫を躾けようとか、誘き出して捕まえようなどと、バカな事を企んでいる。猫にとってそれが平和か?と尋ねられると、どうも違う気がする。猫は猫らしく自由気ままにさせておくのがたぶん正解なのだ。だけども、それでは人間の立場とし... 続きをみる
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個性の肯定・許容は生産者サイドの人間に与えられた課題であって、消費者側の人間にとっては考える余地もないことである。なぜなら彼らは目の前の個性を好き嫌いで判断するだけで、自分と似た者か自分の好きな人間以外は全て消費効率の敵であり、社会の敵としか見なさいから。 そもそも人を消費物と認識しているから好き... 続きをみる
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芸術家は芸術活動に不可抗的でなければならない。 芸術活動とは人に影響を与える事であり、人に影響を与えずにはおれない人間(芸術家)というのは、つまり他人がどのような反応をするのかに興味がある人間なのだろう。 この知的好奇心の根底には人々の個性の肯定がまず大前提としてあり、だからこそ一つの事象に対して... 続きをみる
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人は常に考えていなければならない。何かを思考し、自分なりに答えを出す。そういう思考のサイクルが日々の中にないと、バカな人間になる気がするからだ。もちろん何も考えてない日なんてなく、人は誰でも何かしら心に思考するものだと思うが、思考って夢と同じように掴み取れないくらいの早さで僕たちから遠のいていく性... 続きをみる
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