無敵マンのニート日記

臆病な性格をした無職。自由主義者。 Twitter→@mutekiman_xxx

自由主義者の臆病な性格をした無職が、人生の一コマを書き連ねております。Twitter→@mutekiman_xxx

勝ち組と負け組。

海外においてどうかは知らないが、ここ日本において、特に日本国内におけるネットの世界では、他人を「勝ち組」と「負け組」のどちらかで判別、評価する変な輩を多く見受ける。


例えば、公務員は勝ち組で、ライン作業員は負け組。金持ちは勝ち組で、貧乏は負け組。イケメンは勝ち組でブサイクは負け組。


こんな風に、他人の表面しか見ずに、勝手気ままに人を評価するのは、個人のみならず、その個人の属する大多数の集団全体への名誉を落とす結果にも繋がっている。


1人の身勝手な人間が下した他人への間違った評価が、ネットを通じて社会全体に広まり、それがさも世間では当たり前かのような認識として根付いていく。


そうなると、社会から負け組とレッテルを貼られてしまった人達は、誇りに思えるべき仕事や生き方をしていても、世間から冷たい目で見られ、どことなく自分は負け組で不幸せな人間なんだと思い込んでしまうことにもなったりする。


そもそも何がおかしいかって、他人を見下すような行為自体が間違い。


社会的な勝ち負けで人生設計をしている人間が、この日本国内にこれほどまでに多くいる理由は、他人を身勝手に見下す卑劣な人間が多くいるからである。


他人を見下す行為は、一個人のみならず、大多数の人達をも不幸に陥れていることに気づくべきだ。そして恥じるべきである。


なぜ他人を見下す必要があるのか?

それはきっと、自分が他人よりも優っていたいと思いたいからだろう。


自分が現時点で幸せであれば、いちいち他人と自分を比較して、自分の方が優っているだのと再認識する必要は無い。


つまり、他人を見下す人間は、自分が現時点で不幸であるから、自分より下だと思う人間を作り上げて、無理やりにでも自分を幸せだと思い込みたいだけに過ぎないと私は考察している。


そんな事をしていても、自分の本当の意味での幸せを創造することは出来ないし、他人の評価を陥れ、大多数の人達をも不幸にしてしまうだけで、自分にとっても、社会にとっても、何のクソの役にも立ってはいない。


今の自分の人生が誇りに思えないのなら、自ら舵を切り、方向を変えて、幸せという名の大陸を目指せばいいだけの話。


他人を見下して、偽の幸せを作り上げても虚しいだけだ。


ストレスを抱えるような、誇りに思えない仕事なんて今すぐ辞めちまえ。時間の無駄だし、社会も悪くするし、何もいいことない。


やりたいことをやれ。


結局、この結論に辿り着く。笑


まぁ、特にやりたいことが無い人間が多いってのが一番の根本原因なわけですが。。。


この問題を解決できる方法があれば最高なんですがねぇ。

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