やり甲斐のある仕事を見つけるには
人は誰かの役に立ち、誰かから求められ、賃金を得るという、つまり、働くという行為無くしては決して幸福になり得ない。
誰にも役に立たない事、役に立つと思っていても事実何の役にも立っていない事柄を永遠と続けることは、他者からの反感をかい、また、自分をもいずれ貶める。
誰からも求められなければ、人は自ら動こうとはせず、死人に近いような状態で、堕落した、時間の止まったような生活を送ることになる。
賃金を得られなければ生計を立てることが出来ず、他者から与えてもらわなければ自分の生を維持できない乞食となる。これは恥ずべき事である。
この3つを楽に満たせるのが、会社という組織に入り、働くことである。
業種を問わず、自分が貢献できそうな場所であれば、すぐにでも働くことができる。
今の私のように、業種を問い、私自身のやるべき仕事、役立てる仕事を模索中の人間は「働いていない」という状態が続くため、堕落し、不幸な状態へと陥りやすい。
人は働かなければ必ず不幸になるようにできているのである。
出来れば働きたく無いと考えている人間がほとんどだろう。
しかし働かなければ人は必ず不幸になるのだ。
労働とは、なんと矛盾したものであろうか…
そもそも、人が働きたく無いと考える根本的原因は何であるか?
それは、仕事がツマラナイからに他ならない。
そこで妥協して人生を終える人間もいるし、仕事を転々としても、未だ楽しい仕事に巡り会えていない人間もいる。
一方では、楽しいと思える仕事に巡り会い、毎日楽しく仕事している人間も中にはいる。
仕事において幸不幸に二極化する理由は何であろうか?
それは、幸福への価値観であると私は思っている。
例えば、部屋の掃除に幸福を感じる人がいたとする。部屋をピカピカにすることで、心が幸せに満たされる。
そのように、部屋の掃除に幸福への価値を置いている人は、自分だけではなく、他人へも、その幸福を分かち合いたいと考えるようにもなることに繋がる。
その結果、クリーニング業を開業したり、その類の業種の会社に就いたりすることで、仕事においても、幸福の供給、貢献という形で、仕事においてやり甲斐を持てるようになる。
営業が楽しいと感じながら仕事をしている人は、人と話すことに幸福の価値を置いている。
つまり、楽しい仕事に巡り会えないというのは、その人自身が、幸福と思えるに値することを持ち合わせていないか、あまりにもその数が少ないということである。
幸福に感じる物事があまりにも少ないため、仕事に関しても、働いてお金がもらえたらそれで良いと割り切ったり、未だにやりたい仕事が見つからないと嘆いたりすることになる。
楽しい仕事に巡り会うためには、もっと遊ばないとダメなのだ。
遊ぶというのは、自分が幸福に思えてかつ時間も忘れるくらい熱中できるようなことを指す。
もしそれが見つかったとしても、それだけで満足していたら、ただの遊び人で終わる。
それを仕事に結びつけるためには、誰かの役に立ちたいという貢献心が必要になってくる。
実際、これが一番重要だと考えている。
人間というのは、欲望にまみれている。
自分だけが得をすればいいと考えている。
それでは話にならないのだ。
金が欲しいから割り切って仕事をする。そう考えている人間もいるだろうが、それでは仕事にやり甲斐を見つけることは難しくなる。
誰かに貢献したいから働く、そのような貢献心がないと、仕事にやり甲斐もクソも無いわけである。
この貢献心を身につけるためには、自分だけが得をするような一切のことをやめることから始めなければならない。
ゴミのポイ捨てをやめる、親への仕送りをする、恵まれない国への募金をする、献血をする、、、
とにかく、募金や献血は置いておいて、他人に一切迷惑を掛けないということからはじめる。
それを基本として、毎月の募金や定期的な献血なんかも出来るようになれば尚良い。
献血なんかは実は私はまだやったことがない(大きな事故で血液が必要な場面を私自身身近に見たことがないため)。
まだそこらへん抵抗があるので、これから挑戦していきたいと思う。
それと同時進行で、熱中できることを増やすための行動をしていく。
今の俺に必要なのは、まさにこの2点であろう。
幸福かつ熱中できる物事への惜しみない行動と、貢献心を育むこと。
これからの人生の中で意識していきたいと思う。