無敵マンのニート日記

臆病な性格をした無職。自由主義者。 Twitter→@mutekiman_xxx

自由主義者の臆病な性格をした無職が、人生の一コマを書き連ねております。Twitter→@mutekiman_xxx

人=醜いという方程式

人間は我々と同類の生物であり、仲間意識を自然に持てるように出来ているにも関わらず、嫌悪感を抱いたりする人がいるのはどうしてか?


それは幼少期に、タイトルのような方程式を自己の内に完成させてしまったからであると私は考察している。


大人になっても人とうまく馴染める人間は、幼少期から、人=美しい(肯定的な意味合い)という方程式を維持し続けてきた人間である。


幼少期というのが何より重要であって、幼少期に一度でも自己の内に、人=醜い(否定的な意味合い)という方程式を完成させてしまうと、それは大人になってもなかなか書き換えることは出来ない。


人の醜美の判断は外見ではなく、内面を見て行うもので、人の内面というものは、その人と関わらなければ分からない。


この人と関わる行為、人と関わろうとする気持ちが、幼少期に人に対して否定的な方程式を完成させてしまった人は、大人になっても、出来ない、持てないのだ。


人と関わる第一段階を踏めずにいるのである。


人の醜美は、周りにいる人間や街で遭遇する赤の他人であっても、演繹的に判断を出すため、密接に関わっており、我々の一つ一つの行為行動が赤の他人の人間に対する醜美を決めてしまうのだ。


何が言いたいのかというと、この方程式はなかなか変えられるものではないが、自分が人として美しい行動をしていれば、他人にも人の美しさを諭せるし、自然と周りにも美しい人間が集まり、それは幼少期の否定的な方程式をも変えられる力があると信じているということだ。


美しい人間、美しい行動、美しい言葉、美しいこころ。


これらは自己にも周囲にも良い影響をもたらす。


素晴らしいね。

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