無敵マンのニート日記

臆病な性格をした無職。自由主義者。 Twitter→@mutekiman_xxx

自由主義者の臆病な性格をした無職が、人生の一コマを書き連ねております。Twitter→@mutekiman_xxx

知らぬ間に罪人

私の場合、外出時には前もって膀胱内の残尿感を綺麗さっぱり排してからでないと、安心して外に出られないというのがある。自分の体調を、非の打ち所の無い状態にしておかないと、外の世界で不意に降りかかる悪意や暴力といったものに太刀打ち出来ないという確信があるからである。


しかしながら、この確信を帯びた拘りには一つデメリットがあって、私は排泄後、二度に一度くらいの確率で、ズボンのチャックを閉め忘れるという不注意を働いてしまうのである。排泄後のスッキリした気持ちだけを抱え、そのまま玄関の戸を開け、戸外に出ようものなら、先ほど体調を万全に喫した事による己の完全無欠さの自負から、歩み行く胸も自然と反り気味となり、ともすると外界の全てを見下したような眼つきなんかをしつつ、大通りを闊歩することとなる。
そうこうするうち、外での用事を全て済ませ、さて家に帰ろうかと安堵の表情を浮かべた矢先、ここではじめて、ようやく自分の「罪」に気付くのだ。「おいおい、まさか俺は、今日一日中、ずうっと社会の窓を開けっ広げにしたまま、あんなにも高慢ちきな顔をして街中を歩き回っていたのか?」と。


実際、今日なんかも、私は久々に外出をしてきたのであるが、その帰りの道中、やけにカチャカチャと音がうるさいなと思い、ふと下を見下げると、社会の窓が開いている事は無論のこと、腰のベルトまでもが締め忘れられており、この装いはまるでパンツを見せびらかす為だけにそうしているとしか思えないような有り様で、これには流石の私も本気で驚愕したものである。多くの市民が行き交う道のど真ん中で、私はそそくさとズボンのチャックを引き上げ、急いで腰のベルトを引き締めた。
もはやここまでくると、不注意による恥晒しというより、故意の露出である。


「知らぬ間の罪」というものは、こうした不注意の結果起こるものである。そして本来、人々が外出する時というのは、外界の敵襲に備えるよりもまず、自分のエチケットに注意を向けるべきなのだろう。しかし、殺るか殺られるかの、この世界で、いちいち罪なんて意識していられるものだろうか?


もしも目前にいる一個人の人間が、突如あなたに牙を剥き、襲い掛かって来た場合、あなたならどうするだろう。いわゆる「罪」から逃れることを第一義として、防衛や攻撃と云った手段はあえて使わず、逃げの姿勢を取るのだろうか。

私なら、少なくとも闘争する構えに出る。知らぬ間に私のした行為が罪になっていようが、いまいが、そんな事は関係なく、まずは対立の姿勢を示し、戦闘態勢を取る。そうでなければ、こちらがヤられるだけである。


どこまで逃げたとしても、牙を剥いた敵は追いかけて来るし、醜い敵はどこにだって出現する。罪人になる事を恐れていたら、あなたは逃げの一択しか出来ない人生になってしまう。それを不満に思うなら、先ずは戦闘態勢を取るべきだ。ズボンのチャックが全開になっていようが、パンツの股間部分が丸出しになっていようが、そんなことは関係ない。
どんなに不恰好であろうと、世界に挑む姿勢こそが大事なのである。


今日の昼下がり、知らぬ間に罪人となっていた私は、きっとこれからも、どんどん罪を犯し続けていくだろうし、きっとこれからも、どんどん戦い続けていくだろう。






p.s.

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