鏡の中の間抜け野郎。
最近また何も考えなくなってきた。
何も考えないから、特にこのブログにも書くことがない。
正直、ブログでも書いていないと日々の充実感みたいなものが感じられず、毎日をやっていられなくなる。
誰の目にも留まらない、誰からも必要とされていない状況というのは、端的に言ってツライ。
道端に落ちてる石ころですら、下校途中の小学生に蹴り飛ばされるくらいには、まだ必要とされている。
日頃から言葉を吐き出していないと、その内どんどん頭の中が濁ってきて、しまいには何も話せなくなっている自分がいる。
家で自分一人きりになった時、自分の考えてる事を鏡に向かって少し大きい声で話してみることがある。今日そうして話している自分を見ていると、表現のための的確な語彙が中々出て来ず、話し方が認知症患者のように途切れ途切れになっていることに気付いた。
以前はもっと瞬発的に、的確な語彙を用いて話すことが出来ていたはずなのだ。
文字で書くなり、喋るなり、何かしら自分の思考を言葉として日々吐き出す習慣を持たなければ、人はこんなにもバカっぽく見えてしまうものなのかと、私は鏡の中の自分を見て情けなく思った。
どれだけ体裁が悪くても自分の思いや考えを外に吐き出してみる。それは自己表現の修行として毎日必要なことだったのだ。
私は何事にも自分のやる事に関しては完璧を求めてしまう性格なので、適当に表現するということが酷く苦手である。
完璧な表現なんて人間コンスタントに出来るものじゃあるまいし、それを望んで日々を寡黙に過ごしたのでは本末転倒である。
寡黙は人の表現能力を恐ろしいスピードで退化させる。
みんなも気を付けた方が良い。
祖父母なら誰しも、自分よりも先にボケた孫など見たくは無いはずである。