無敵マンのニート日記

臆病な性格をした無職。自由主義者。 Twitter→@mutekiman_xxx

自由主義者の臆病な性格をした無職が、人生の一コマを書き連ねております。Twitter→@mutekiman_xxx

まじめな人。天才か自殺者か。

まじめな人とは、利己的行為よりも利他的行為を優先しがちな人である。これは生まれつきの性格みたいなもんで、基本的には変えられるものではない。

自分を利するよりも他人を利した方が純粋に心地良い。そういった性質の人間をまじめとするなら、この地球のほとんど全ては不真面目な人間で埋め尽くされている。つまり、外へ一歩出て、そこらへんの人混みに石を投げるとエゴイストに当たる。それが世の中というものである。そんな利己的思考の人間たちで埋め尽くされた世の中に、まじめな人間が一歩足を踏み入れるとどうなるか。小賢しい集団から都合の良いように利用され、果ては奴らの鬱憤ばらしの為のサンドバッグ代わりに使用され、ボッコボコのメッタメタにされる悲劇の運命が待ち受けているだけなのである。

まじめな人間が集団の中へ入ることには、正直言って何のメリットも無いと言える。奴らに傷付けられ、弱い人だったら自殺にまで追い込まれたりもする。

そんな厳しい状況下であっても集団の中で地道に働き続けるまじめな人たちも確かに居るには居る。私はそういう人たちを工場派遣などで実際に何度も見てきたが、彼らは見るに耐えない悲惨な人間達ばかりであった。上司に大声で罵倒されていたり、同僚達から毎日バカにされ笑いのネタにされていたり、上司とその取り巻きから嫌な仕事ばかり押し付けられていたり、客観的に見ていて憤りしか感じないような場面でも、まじめな彼らはその都度、とても申し訳なさそうに謝り続けたり、何もかも諦めたような微笑でごまかしたりして、必死で集団に媚びようとする姿勢を貫いていた。それはある意味、強い生き方と言えるのかもしれないが、そんな利用されるだけの毎日に彼らが心から満足できているかは甚だ疑問である。そうした生き方をするほかないから、仕方無くそうしているだけで、本心では不満ばかりの毎日に違いないのだ。不満の日々は何も楽しいことはないし、そんな日々を過ごすくらいなら自殺した方がマシという気持ちにもなる。だから、まじめな人がこの世で幸福に生きていくためには天才になるしかないと私は思っている。天才というのは、集団の中の一員として社会に身を置くのではなく、集団を天から操作する特異な存在として社会に身を置く人間のことをいう。

人間集団とは直接関わり合いにならない場所から人間集団を操作することさえ出来れば、少なくとも集団から利他的行為を搾取され続けたり、反感を買って嫌な目に合わされ続けたりする日々を過ごさずに済む。むしろ天才という生き方は、生まれ持った利他の才能を開花させ、人生を誰よりも豊かなものにさせるだろう。

まじめな人間が報いられる人生とは、ただ一つ。天才であり続けることである。

そのためには、常識とか、欲とか、とにかく大衆が好むことを全部拒否して、逆張り人間になる必要がある。

それを私は、本当の強さと呼んでいる。


つまりは、こうだ。


まじめで強い人間は天才として豊かな人生を送るが、まじめで弱い人間は自殺に追いやられるか、不満続きの人生に妥協して、苦しみながら生き続けていく他ない。

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