僕が何をしても楽しくないワケ
自分の為に何かをするっていうのは僕にとってあまり楽しい事ではない
楽しい事ばかりして過ごしていると、だんだん虚無感でいっぱいになってきて
「こんなことして意味あるだろうか?」と思えてきて、最後「意味ないよな」で終わる
自分だけが楽しい思いをするのは、何か申し訳無さを感じるというか…
だから、僕は自分が楽しいという状況より、他人が楽しんでいる状況の方が安心する
ただ問題なのは、自分が他人を楽しませている状況以外は受け入れられないという点
自分と無関係なところで勝手に他人が楽しそうにしている分には、むしろ腹しか立たない
「そんなつまんないことで笑うなよ」と、言いたくなってきて
だんだん
「俺が面白いコトしてやるから俺で笑え」
「って言うか、もう俺以外で笑うな」
「もうずっと俺だけを見て笑っていろ」
などと、発展したりする
もうここまでくるとメンヘラだが笑
結局俺は自分が他人を笑わせたい欲が強すぎるのだ
この「笑わせたい」という言葉は「支配したい」という言葉にも置き換わるので、
簡単に言えば俺は支配欲の強い人間なのだろう
自分が何かを楽しむというのは、結局他人がつくった何かを楽しむのであり、他人に笑わせられるということ…
それはつまり、他人に支配されているということも出来るので、僕は何をしても純粋に楽しめないのだ
僕は支配されて笑っていられる奴の気がしれない
彼らの笑いが上辺だけでないのだとすると、それはもう一級のマゾヒスト以外の何者でもないのでは?
逆にサディストというのは、決して笑わない
保身を目的とした上辺笑いはするが、笑っている奥では心底相手をバカにしているし、
仮に本当に面白い事があったとしても、目前に相手がいる状況だとグッと笑いを堪えたりもする
笑うというのは自分が支配され、屈服したことの証明になるので、支配を嫌うサディストは決して笑わないのだ
かと言って、よく笑う人間が好きという訳でも無い
自分経由で相手が笑ったのだとしても、僕は相手を頭の単純なバカだと思うだけで、決して好きにはなれない
笑かすのは好きだけど、それで笑う奴に僕は軽蔑の眼差しさえ差し向ける
僕が1番理想とする人間関係は、互いに喜ばそうとやり合いながらも、互いに喜びの笑みを隠し合うような関係だ
永遠に交戦し、常に対等であるという関係が望ましい
何が言いたいのかというと、
僕は生まれながらのサディスティックなエンターテナーであり、簡単に笑うマゾとは永遠に仲良くなれないということ