無敵マンのニート日記

臆病な性格をした無職。自由主義者。 Twitter→@mutekiman_xxx

自由主義者の臆病な性格をした無職が、人生の一コマを書き連ねております。Twitter→@mutekiman_xxx

自分のあり方

今まで4人、3人で生活してきたのが、父と2人の生活に変わって、自分のあり方みたいなものも変化したように思う。僕は元々の性格として、「必要とあらば動く」と言う合理主義の中で生きてきたので、自分の欲とか感情といったものがほぼほぼない。

だから、例えば友人同士3人で遊んでいる時でも、僕以外の2人同士で会話が盛り上がっているとすれば、その時僕はそのムードを邪魔しないよう、極力黙ると言う判断をとる。要するに自分の出番では無い、動く必要性がないと判断したなら、僕は全く動かないということになる。

母とともに3人で生活していた時というのは、僕の出番は正直あまりないと自分自身考えていたのだと思う。父は僕と言うよりも、母にその精神的安らぎを求めていただろうし、母は母で、何も言わずに家のことを全部こなしてくれていた。この完成されたシステムの中では、僕の存在はあってもなくても良いものだと、そう気楽に考えていたように思う。自分ではほとんど労力を割かずにこのシステムの中でただただ恩恵を受けていたのだから、かつて母がよく私に「お前は甘えている」と言ったのも、今となっては納得できるような気がする。でも、やっぱり僕はどこまでいっても合理主義者なのである。人の気持ちをあんまり考えられないような人間であるし、何事においても実際に目に見えるものでしか物事を判断できない。そこが多分母や父、その他大勢の人とは違うところで、食い違いが起こるところでもあるのだろう。とりわけ母は、何でも自分でやって、その無理している自分の気持ちを察して欲しいタイプの人だと思うので、究極なまでに察せない自分とはモチロン馬が合うはずもない。

今回母が入院したのを目の当たりにして、はじめて、母は今まで無理をしていたのかもしれないと思うことが出来たし、家の中でのシステムが崩れた事で、その埋め合わせをするべく僕の出番がやってきた。だけども、僕は絶対にムリはしない。なぜなら、僕には出来ることはもちろんあるけど、出来ない事もあるから。母が得意とするような、人の気持ちを汲み取ったり、理解するといったような事は、残念ながら僕には出来ないし、今後ムリしてやるつもりもない。それは、父には都合の悪いことかもしれないが、どこまでいっても僕は僕だ。流石にそこのあり方まで変えるつもりはない。いや、というより正確には、変えられるものではないのだ。

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