諦めるのはまだ早い。
今から遡って、過去10年間。私も色々考え、悩み、自分なりに決断して日々を送ってきた。
まず高校中退を決断するところからはじまり、次に大学進学を決断し、そうかと思えば就職しないことを決断し、自由な金持ちになることを夢見て個人事業と株式投資をはじめることを決断し、それが原因でまとまった貯金を全て失ってしまい、仕方なくまた一から資金を貯めるため工場派遣で労働することを決断し、労働人生の途方もない虚無さにうんざりし、今一度自分の人生について一から考え直してみたいと強く思うようになった末、ニートになることを決断し、その間絵を描くことや造形などの自分の好きな事を徹底してやり尽くし、そうすると、それらを私の生業とする程までに私がそれらに対して強い情熱を持つことが出来ないことに気付いてしまい、やはり私は、この世の中で私にとっての生の喜びとなりうることを、これから先、もっと積極的に追求していき、それを絵でもなく造形でもない、一つの文章でもって表現していきたい。そのような確信を得て、今に至る。
私はこうした10年間を経てようやく、自分が本当に進みたい道を決断することが出来たのである。
「遅すぎるよ」とあなたは言うかもしれない。
しかし、それは自分が一番よくわかっている。
せめて5年前にそれに気付けていたら、私は夢の実現のためにその5年間を丸々物書きとしての修行に充てることが出来ていたはずだし、
その順調なキャリアでいけば、もしかすると今頃私は、物書きの仕事で飯を食っていたかもれないのだ。
そう思うと、なぜ今になって、ようやく気付いたのだと、過去の愚かで自堕落だった自分を責めずにはいられない。そして、なぜあの時もっと子供の私にマトモな大人としての考え方を教えてくれなかったのだと、私の両親を責めずにはいられない。
でも、過去を責めたってしょうがない。
周りの同世代はもっと早くに気付いたのかもしれないが、私は遅かった。
ただ、それだけのことではないか。
遅かったからといって、何もかも不可能だと決まったわけではない。いつからであっても、それをやり抜く決意と覚悟さえあれば、可能な範囲において、夢は必ず応えてくれる。私はそう信じている。
歳を取ったことで人生の選択肢は以前よりもずっと少なくなったかもしれないが、少ない選択肢だからこそ、あるいは唯一の選択肢であるからこそ、人は自分の決断に強い覚悟を持って突き進めるのではないか。
希望に満ち満ちてどこへでもゆける若者よりかは、絶望によって一本道に追い込まれた老人のほうが、より早く自己の追い求めた楽園へと辿り着けるのではないか。
あたかもそれはウサギとカメの話のように。
粘り強く戦う覚悟を持ち続けた者だけが、けっきょく最後には笑うであろう。