無敵マンのニート日記

臆病な性格をした無職。自由主義者。 Twitter→@mutekiman_xxx

自由主義者の臆病な性格をした無職が、人生の一コマを書き連ねております。Twitter→@mutekiman_xxx

私は積乱雲が憎くてたまらない。

あの雲は積乱雲というのだろうか。


最近、あまりに巨大な雲が威高にも、あの凛とした青い空の中で我動かじと、頑なな意志を見せつけながら、ゆっくりと浮き流れているのを目にする機会が多くなった。


かの雲はその巨大さから、一瞬私を圧倒させたりもするものだが、よくよくジッと眺めていると、やはり私はその本質に不愉快を覚えずにはいられない。


なぜなら、雲の本質というのは、風の流れに身を任せ切って只々浮き漂っているだけの弱者に過ぎないからである。


その弱者たるもの、もっと身の丈に合ったやり方で、例えば夕暮れの空に縮れ縮れになるような形で、至極謙虚に浮き漂っているだけなら私もまだ許せたに違いない。

しかし、弱者であるにも関わらず、あのすみわる晴天の空に己の姿を白々と際立たせ、それでもってあんなにも堂々と巨大な姿で我々を圧倒する、あの積乱雲の傲慢なやり方には、決して許すわけにはいかぬ何かを私はヒシヒシと感じるのである。


風に流されるまま自分では何もすることの出来ない弱者のくせに、態度だけはバカみたいに巨大なのだ。


それは誰の目に見ても「悪の姿」であろう。


積乱雲を眺め、少しの不愉快を覚えた後、なぜだか私は自分の心の中に恥の感情のようなものを見た気がした。

哀れな人間の挙動を見てなぜだか自分自身が恥ずかしくなってしまうような、あの恥の感情である。


おそらく私は、積乱雲という「傲慢な弱者」に、そっくりそのまま自分の姿を見たのである。それは過去の私なのか、今の私なのかは、ハッキリとは判らない。

しかし間違いなく言えることは、今の私は積乱雲を純粋に恥ずべき悪の姿として、本能的に嫌悪しているのだということである。


だから事実、最近の私は夕暮れにしか外を出歩かないようである。(これは単に昼間の暑苦しい時間帯を避けているだけ。ではないと信じたい。)


微かに夕暮れに染まる雲々の、あの諦観の面持ち。

流れに流され、散り散りになってしまったことでやっと知り得たであろう、あの謙虚さ。


今の私は知らぬ内、そういう真面目なものしか受け付けぬ、老人体質になったらしい。

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