知識はどのように得るべきか。
人は経験からしか知識を得られない。
【議題】
知識は自分の経験から得た方が効率的か、それとも、他人の経験から得た方が効率的か?
テレビやネットやラジオや人との会話の中からも経験は得ることができる。
他人の経験というものを、過去から現在に至る様々な人間達から得ることはできるが、それは結局他人の経験であり、その全てを理解することは出来ない。
つまり、知識を本当の意味で得るためには、結局の所、自分が実際に経験しなければ自分の知識にはならないのだ。
川は美しいと説明され、誰かに写真を見せられても、それは確かに川という知識は得られるが、やはり、本当の意味での知識を得たいなら、自分が実際に川へ行って実際に見て、川は本当に美しいんだなと理解するしかない。
他人から得た知識は、言うなれば、未完成な知識、本当の知識を得るには、他人の知識を活かして、自分で確かめるという、体験により、自分の経験にする必要がある。
つまり、本やテレビばかり見ていても、知識はつかないということになる。
それは未完成な知識なのだ。知識とは呼べない。
本で知識を得たら、実際にその知識を行動で確かめなければならないということだ。
知識は経験からしか得られないと最初に書いたが、経験も知識からしか得られない。
知識→経験→知識→経験
という風に、知識と経験は常に連鎖している関係にある。
経験から知識を得ることも大切だが、知識から経験を得ることも同じくらい大切なのだということ。
未完成の知識を自らの体験によって完成させる。
結論を言うと、やはり知識を効率的に得られるのは、他人の経験からである。他人とは、過去の偉人達も含まれ、本などを読むことからその経験は得られる。
そこでまず未完成の知識を得たら、あとはそれを自分の行動ベースに落とし込むだけで知識は得られることになる。
いくら自分の経験から知識を得たいと思っても、自分の行動や経験には限界がある。そこから得られる知識なんてごく僅かしかない。
偉人達の知識を先に頭に入れておく必要性は計り知れないほど高い。
逆にそれを先にやらないと、めちゃくちゃ人生を無駄に生きることになる。
まとめ
知識とは、過去の偉人達から得て、自らそれを確かめるための体験をすることで、効率的に得るべきものである。