正義の執行について。
感情に任せて怒りをぶつけると、他人を傷つけたり、嫌な思いをさせることになる。
その怒りは客観的に見て正義であることもあるが、後々考えると悪である部分もあったんじゃないか?と思うことも多々ある。
怒りぶつけたり、ぶつけられたりした時に、後々反省して考察してみるということは、善き人間関係を保つ上で重要になる。
それよりも重要なのは、争いが発生した時点で、自分の気持ちを相手に伝えるということ。
相手が怒っているのはそれなりの理由があるからであって、何も理由無く怒っているわけではない。
それが理解できない人間もいるので、争いが発生した時点で、自分が怒っている理由をちゃんと相手に伝えるということが何よりも重要。
そこで相手と自分の言い分を話し合って、正義はどちらの言い分に相応しいのか決着を付けること。
これをしないと、相手が反省しないタイプの人間だと、自分の悪を正義だと思い込んだままの状態が、この先も一生続くことになる。
そうなると、この先も同じようなことで悪の執行を受ける人間が出てきてしまう。
以上の理由から、やはり争いが発生した時点で自分の疑問点を冷静に相手に伝えることが重要になるのである。
感情に任せて怒りをぶつけるのは愚者のすること。
その怒りに負けて、何も言えずに逃げるのは弱虫の人間がすること。つまりはこれも愚者に値する。
僕は怒られると手が震えたり、涙目になったりして、思いを相手にぶつけることが出来ない時が多々ある。
しかし、それではいけない。
なぜなら僕は正義の執行人でありたいからだ。
感情的に怒りをぶつけられたら、まずは相手を落ち着かせること。
感情的になっている人間には何を言っても、火に油を注ぐだけだからである。
冷静にさせた上で、話し合いをする。
そこで正義を執行し合うことで、相手を反省させたり、自分が反省したりする。
より善き社会を作っていく人間になるためには、これは必要不可欠なテクニックであり、またこれは意識して訓練しないと中々身につくものでは無い。
自分の思いを相手に伝えるということの重要性は計り知れないものだと思う一日であった。