やりたい仕事とやるべき仕事。
やりたい仕事はあるけれど、果たしてそれは、自分のやるべき仕事だろうか?
何か仕事をしたいなら、自分のやりたい仕事ではなく、自分のやるべき仕事を探すべきだ。
やりたい仕事は時に自分の能力以上の「出来ない仕事を求められる」が、やるべき仕事は自分の能力以内の「出来る仕事しか求められない」。
出来ないことをしようとするから苦しくなるのであって、出来ることをしようとするのであれば、何も苦しむことはない。
だから本来仕事というものは、出来ないことではなく、出来ることから始めるべきなのだ。
自分は何も出来ない無能だと思い込んでる人たちにも、出来ることはある。
彼らは息を吸ったり吐いたりすることが出来るし、インターネットを徘徊することが出来るし、自分の思いをコメントにして書き込むことが出来るし、瞑想だってやろうと思えば誰でも出来る。
今自分が出来る事には目を向けないで、ひたすら出来ない事(やりたい仕事)ばかりに目を向けては、落ち込んでいる。
息をすることが誰かの役に立たなくたっていい。
ネットサーフィンが誰かの役に立たなくたっていい。
コメントすることが誰かの役に立たなくたっていい。
瞑想することが誰かの役に立たなくたっていい。
役には立たなくとも、まず自分が何か出来るということは、とても幸せなことなのだ。
自分を無能だと思い込んでる人は、今自分が出来ることを「呼吸出来る」を筆頭に1つ1つノートに書き出してみればいい。
出来ることなんて探せばいっぱいあるはずだ。
どんな些細なことでも、何かが出来るということは幸せなこと。
そのようにして、まず自分が出来る些細なことを見つけて、幸せだと思えるようになることが大事だ。
自分が幸せだと思えるようになると、他人の幸せをも願うことが出来るようになる。
他人の幸せを願えるようになると、何かに役立ちたいという気持ちが出てきて、自分のやるべき仕事は何だろう?と考えるようになる。
僕はいまだにやるべき仕事を見つけられないでいるけど、何かに役立ちたいという気持ちさえ持っていれば、必ず自分が何かの役に立つ日がやってくると信じてる。
それを信じて毎日何かに取り組むことは、決して無駄なことではない。
1番無駄なのは、出来ないことばかりを嘆いて毎日何もせず、無気力に生きることである。
出来ることが1つでもあるなら君は無能じゃない。
少なくとも何かに役立てる素質はあるのだ。