何をしていいかわからない。
能動的な体験総数が少ないと価値観が構築されない。
価値観が構築されないと自分という者がわからない。
自分という者がわからないと人生は始まらない。
価値観が著しく無い人は、何かを体験したいという欲求がおこりにくい。
つまり、何かを能動的に体験していかない限りは、一生価値観は育まれないし、自ら動く人間にはなれないということだ。
「何をしていいかわからない」と言う人は、能動的に動くことに重大な理由をつけたがる。
そして、色々動く理由を考えているうちに、今度は動かない理由を見つけ出してしまう。
少しでも興味があるなら、グダグダ考えないで、とにかくやってみりゃいいのだ。
実際動いてみると、想像通り大したことなかったということもあるだろう。
しかし、動かなかった自分と動いて確実な結果を手にした自分とでは、その差はかなりデカイ。その分だけ価値観は構築されたのだから。
「何をしていいかわからない」と言う人は、
「きっとつまらないだろう」という自分の想像において間違った価値観を構築してしまっている。
そんなものは本当の意味での価値観ではない。
根本から価値観というものの構築ができていないのだ。
グダグダ考えないでやりゃあいいのだ。
俺は人生哲学というものに一番の価値観を置いているから、いろんな哲学書を読んでいる。
まさにこれは行動しているといえよう。
しかし、それだけではあまりに興味の対象が狭すぎる。
俺は今、実は他にも興味を持っていることがある。
それはルーブル美術館に行ってみたいということだ。
有名な絵を生で見てみたいし、ルーブルに美しさを認められて飾られている芸術品がどんなものなのかを見てみたい。
考えてみれば他にもやりたいけど自分の中でツマラナイと予想してやらなかったことがたくさんある。
自分を知るには、余計な事は考えずに能動的に行動しまくる。
それだけのこと。