「人様の為になるような事をしなさい」
という説教をする人間を私はバカにしている。
その説教は、遠回しに「働け」と言っているのだが、考えてみてほしい。
なぜ人は働くのかを。
人は第一に、金が欲しいから働くのだ。
結局、金を貰えないならば、その仕事がいくら人様の役にたっていようが、人は働かないのである。
無償で働いている人間が言うのなら話はわかるが、金のために働いている人間に「人様の役に立つことをやれ」だなんて言う資格は、そもそもない。
きっと、自分が人様の役に立っている実感があるからそう言うのだろうが、悲しいかな、それは、お金ありきなのだ。
金が貰えないなら、人様の役にも立てない人間。
そんな人間が「人様の役に立て」だなんて、よく言えたものだ。
「働け」と説教したいなら、「将来自分1人で生きていけるように、今のうちからお金を稼いでお金を貯めておきなさい」と言うべき。
「人様の役に立つ」というのは、単なる後付けでしかないということをしっかり認識して欲しい。
大多数の人間は、明日の飯のために働いているのだ。
そしてその働きが結果として、会社に価値をもたらし、次に消費者に価値をもたらしているのである。
こういう人間たちのことを私はこう呼ぶ。
「食うために生きてる人たち」
ただそれだけ。
彼らはそれを直視できないでいるから、「私は社会の役に立っている」と言って虚栄を張るのだ。
そうでもしないと自尊心がもたないのだろう。
私は「生きるために食う人間」でありたい。
生とは、もっと輝かしいものであっても良いはずだろう。
自分の中で価値を置いたもののために生きてもいいはずだろう。
明日の飯に価値を置く人生を送るくらいなら、死んだ方がマシだ。