本質的に俺は犬なのかもしれない。
猫は性格上自由奔放で、時に主人からの好意や配慮をはねつけてどこかへいってしまう事がある。
俺はそんな人間じゃない。
俺は常に誰かからの好意や配慮を欲している。いわゆるかまってちゃんだ。
表面上は、「構うな!」という風にふてくされてはいるが、それは相手を心配させて、自分だけに注目が注がれることを望んでいるからである。
さすがに俺みたいに面倒くさい性質の犬は、どこを探してもいないだろうが、常に誰かからの好意や配慮を欲しているという点においては、猫というよりも犬に近いのかもしれない。
俺がダメなのは、悪い意味で注目の的になろうとするところ。
10代からタバコを始めたのも、高校で不良ぶっていたのも、現在引きこもっているのも、全ては自分に注目して欲しいという目的を達成するためであり、それらはどれも悪い意味合いでしかない。
悪い意味合いで注目されることって、とてつもなく簡単にできちゃうんだよね。
ようは、やろうと思えば誰にでもできちゃう注目の集め方。
そういうやり方は、本質的な意味で自分を満足させてくれない。だけど、簡単に注目されるから便利なんだよね。
じゃあ逆に、「良い意味」で周りからの注目を集めるにはどうすればよいのか?
圧倒的な努力が不可欠なのは間違いないだろうね。悪い人よりも良い人の方が圧倒的に多いし、そのために、普通に良い人だけでは注目が集まらない。
ポジティブな意味合いで注目されたいなら、圧倒的にポジティブでなければならないってこと。
そうなるための努力が面倒だから、ほとんどの人は手軽な悪い注目の集め方に固執しちゃう。
電車で老人に席を譲っても誰も注目しない。
それよりも優先座席に踏ん反り返ってタバコをふかした方がはるかに注目は集まる。
募金を1億円寄付したとかだと良い意味で注目の的になるけど、そんな圧倒的な大金を寄付するために、どれほどの努力が必要か、考えただけでも途方にくれる。
悪いことが注目されやすいのは、メディアの影響もあるだろう。
メディアは、人が良いことをしたというニュースよりも、悪いことをした人間を多く、しかも長期にわたって取り上げ続ける。
大衆は、圧倒的天才よりも殺人犯の方に共感しやすいからだろう。
天才にはなれないけど、殺人なんてやろうと思えば誰にでもできちゃうから。そういう点で共感できてしまう部分がどこかしらある。
注目の的になりたいという欲求を、悪いことで解消するのか、圧倒的良いことで解消するのか。
短期で満足できればそれでいいのか?
長期にわたって満足したいのか?
けなされののしられ見下されて死んでゆくか。
感動を呼び尊敬それ崇拝されて死を迎えるか。
後者になるために頑張りたいけど、頑張ることに自信が無い弱い自分がいて、俺は本当に飼い犬として生まれるべきだったんではないかという何の意味もない空想をしている。
そんな自分は、また今日もブログを通じて悪い意味合いで目立とうとしている。