人間的に嫌いな奴ら。
今俺が働いている工場では悪が散漫としている。これは社会という枠の中でも同じことだ。
俺の言う悪とは、俺にとって人間的に嫌いな奴のことを指す。
俺にとって人間的に嫌いな奴というのは、集団を作って、その中で規範を作り、没個性化することで協調し、建前の中でしか幸福を追求しようとしないバカのことである。
つまり簡単に言うと、集団の中でうまいこと協調してる、しようとしてる人間が嫌いだ。
俺は昔から集団が嫌いだった。
なぜだか学校では、集団を作って飯を食うことや、集団で遊ぶことが当たり前で、それが大事だという風習があった。
俺は意味がわからなかった。
集団で飯食っても他人に気使うだけで何も楽しくなかったもん。
集団の中での会話も、何も面白くないことで俺以外のみんなが笑ってんの。
俺は集団にいることが苦痛でしかなかった。
でも日本社会では、一人でいることを悪とみなすような認識があるから、一人でいることも許されない。
なんて生きにくい社会なんだろうと思っていた記憶がある。
今は昔と比べて多少ではあるけど、欧米文化の浸透とかもあって個人主義的な人が増えてきてはいるけど、まだまだ日本の集団主義って根強くこびりついてるよね。
俺が今いる工場も、典型的な集団主義で成り立ってて、一人で黙々と作業する人間はほぼいないんじゃないかな。
みんな集団を作って、その中で和気あいあいとしてる。新人が入ってきたら白い目で見て、集団の中での品定めが始まる。
あいつは俺たちに楯突くような奴じゃないだろうか?俺たちにペコペコ頭を下げて協調できる人間だろうか?
その品定めにパスできそうにない個人主義的な人間は、集団から白い目で見られ続け、やがて村八分が起こる。
一人でいることも不幸を招くし、集団の中に属してもストレスが溜まって不幸になる。
本当にバカな風習だと思う。
まぁ小さい頃から皆そういう風に洗脳されてるから仕方ないんだろうけど、個人主義的な俺からすると、本当にツマンネー社会だと思わざるを得ない。
集団での笑いが正義であり、集団での行動が正義であり、集団での人生が正義になる。
それに背いた人間は村八分。
絶望すぎる…
こんなこと書いたのは、今の工場で俺が村八分状態になりつつあるから。
まぁ俺は1人の個人主義的な人との関わりがあるから、まだ居心地良いけど、集団圧力は日に日にエスカレートしていくのだろうなと思うと気が疲れるよ。
でも俺は正義は貫くよ。
どんなことがあろうと、正義だけは主張させてもらう。
堂々とね。
個人主義的な人たちが生きやすい社会を作れば、それは本当の意味での個人を自由にするし、各々の自由のもとに幸福をも実現しうる。
集団主義の中の意味不明な行動や思想に、堂々と疑問を投げかけることで、彼らに自らのバカさを気付かせることができたら勝ち。
悪との戦いに俺は絶対勝つ。